じぇねくそぼーど

所詮は落書き。

あの時よりは心が整理されたから, ちょっと一言

ブログの記事を見てたら, 3年前にこんなものを書いてたらしい。

asdfgenex.hatenablog.com

センター試験直前期なので, 馬鹿みたいに漢文用語が混ざっているのが微笑ましい。昔の俺は漢文学者を気取っていたもんで, 隙あらば漢文で学んだ言葉を使いたくなっていたもんだ。

それはさておき。色々変わりました。もう昔ほどの漢文キチガイでもないし。

 

結局, 墓には行った。

去年初めて行ったけど, これ以上ない虚無感に襲われて多分20分くらい棒立ちしてたことは覚えてる。その後墓の前に座って延々と喋り始めたと思う。2時間くらい。ずっと喋ってなかったもんだから, ついつい世間話とかしたくなってしまった。何も返ってこないことなんてどうでもよくて, 目の前でうんうん, 続けて続けて!って言わんとする彼女の顔を想起しながら最近の出来事とか, 化学の話とか, 物理の話とか, 哲学の話とか, 音楽の話とか。

そこから帰りたくなかった。帰るということは, 自分が直面しているカスみたいな現実への回帰を意味した。コロナだの, 大学だの, 人だの。静かな霊園の外には, 忌避したくて仕方のないもので溢れていた。どうせ, 帰ったところで虚無を紛らわすためにCS:GOを起動するだけじゃないか。それか, また楽しくもない大学の勉強か。また生活習慣のことガタガタ言われるんだろうなあ。自分の力不足で選ばざるを得なかった未来へのロードを辿るしかないんだろうなぁ。そういう考えが過ぎると, 去り際にまた墓に振り返って, 「ゴメン姉貴, もうちょっとだけ付き合って!」ってお願いしてまた地べたに座り込んだ。

 

思えば, 1人の人間が人生に与える影響って, とてつもなく大きいんだなあ。俺は彼女と過ごしてた2013年-2017年の時期が今でも自分の人生のいわゆる黄金期だと感じている。今の自分の学問に対する姿勢は, 彼女から得たものだ。中学生の俺に自然科学や哲学, 文化などの知識を授け, 何が大事か, 何を見るべきかを教えてくれた。勉強が今まではテストのため, 塾のためだったのが, 彼女とのやり取りで一気に変化した。もっと考えるようになったし, 細かなディテールに着目するようになった。

今思い返せば, 彼女は完璧な人間ではなかった。一緒にいた時はどんな時も頼れるし, なんでも知ってるし, 彼女に勝る人間など存在するわけがないと思っていたけども, そんなことは全然ない。どちらかと言えば「自分が正しい」と思うタイプの人間だったので嫌われることもあったし, 気に入った人間以外に理解されようっていう気がおそらく最後までなかった。そう思えば, 俺と彼女が仲良くなれたのも偶々でしかない。

彼女がいなくなって, 高校にいた頃はまだ正気を辛うじて保てたけど, 受験期を経て大学に入って徐々にそれで心がすり減らされた。辛い時があったらいつも, 「姉貴がいさえすればなぁ」って思い始めてしまう。知らぬうちに自分の生きる理由を彼女に依存していたのかなあと不安になる。

 

時が経てばこういうのは癒えると言うけども, もう5年経った。彼女の歳に追いついてしまった。

なーにしてんだろうなあ, おれ。