じぇねくそぼーど

所詮は落書き。

二周忌

未だ彼女の墓を見たことはない。

 

彼女の葬式には行かなかった。彼女の家族でもないから行く義務なんてなかったが、それでも周りの人にとっては衝撃だったみたい。あんなに可愛がられていたのに行かないなんて冷たいなァ、と言われることさえあった。

ほどなくして彼女の親が何処かに墓を立てたと聞いた。それでも行かなかった。灰色の海の中に埋もれた、泣きたくなるような風景がふと頭に浮かんでとても厭になった。

 

 

今、こうして書いている中、一日彼女がプレゼントしてくれた数冊の本を並べている。もとは彼女が自分の本棚に並べていたもので、病床に伏す少し前に俺にくれた本である。たとえば夏目漱石の『草枕』や、永井荷風の『日和下駄』などがある。渡された当時は文学なぞには興味はなく、もらっては自分の部屋に置きっ放しだったが、今改めて手に取るとその趣が骨の髄に染み込んでいくような感覚がする。彼女はこの本を読んでいた時、その同じ感覚を味わっていたのだろうか。知るよしもないが、蓋しそうであろうと確信している。

漢文が好きになった今『草枕』を読んでみると、ちょっとばかりその文体に好奇心がくすぐられる。漢語の使い方や引用が趣深く感じられる。あッ、と驚き、気づき、須臾にして感動が訪れる。そんな感激の流れを共有できる相手が、今、どこにいるのだろうか。この感覚を、彼女に伝えることができれば、どんなに嬉しかっただろうか。彼女はどんな面白い議論を吹っかけてくれるのだろうか。

 

わからない。何もかもが闇の中で朦朧としていて、自分の考えでさえもぼやけてしまうような。