じぇねくそぼーど

所詮は落書き。

モチベがねェ

受験期には絶対に戻りたくないと思っているけども、当時のしんどい毎日を耐えるためのモチベーションは慥かにあった。「大学に入って本物の学問をする」というモチベーションがあったはずだ。果たして本物の学問が何かは大学に入った今、よくわからなくなったけど、昔の俺は「受験勉強のような同じことの繰り返しじゃなくて、新しいことを学んで自分で考えていく」という漠然としたイメージを持っていた。

而してそういう「新しい学び」を求めて勉強の合間に塾の近くの書店で大学の有機化学と物理化学の教科書や、「孫子」「大学・中庸」など漢籍や文学を探しては立ち読みしていた。目指していた学部は理学部でも文学部でもなかったけど、とにかく「つまらない受験勉強」から逃れたかった。そうして得た知識は膨大とまではいかなくても、ある程度のレベルまで蓄積されたと思う。

格通知が来た時はこの上ない悦びを感じた。やっとつまらない勉強が終わる、前に進めると思ったものだ。しかし大学に来て授業を受けてみると、自分が期待していた「新しい学び」はさほど感じられなかった。でも後期で「生化学」という学問に出会ってその面白さに気づくと、こういうのを探していたんだと思い、とことんやり込んだ。やり込めばやり込むほど面白くなって、大学のバイオケミストリーのラボにも入ることができた。

それに対して今の自分を見てみると、どうもあの頃のような強い願望が著しく欠如している気がする。もちろん、化学とかはまだ好きだし、以前はできなかった趣味の楽器演奏だっていくらでもできる。それでも、日頃やるべきことに対するやる気が削られているのを感じる。

大学の授業も暗記事項を投げつけるばかりだし、同級生と通話しても毎回授業の話ばかりで、他の話をしても理解してもらえないので結局つまらないな〜と思ってゲームをする。自粛生活のせいか?と思えば、1年生の時だって暗記事項ホイホイな授業を受けた後に友達と飯食って帰って必死に覚えるだけの毎日だったので、実際のところ「同じような日々」という点で似ている。

 

そうして1ヶ月ちょい前に気づいた。「なんだ、結局受験の時と変わんねーじゃん。」

 

そして時たま別の大学の知り合いと喋ったりすると、いかに自分がつまらない環境にいるかが一層際立つ。たとえば某大学化学科の一人は自分の興味ある分野の研究を始めることができそうでワクワクしていると俺に言ってたし、他の人達だって自分の好きな勉強ができていて楽しそうだ。好きなことを糧に生きると決めていて楽しそうだ。隣の芝生が青く見えるだけかもしれない。本当は辛いところだってあるに違いない。でも、そうやってる人を見てる傍で、自分は無味乾燥な勉強を強いられていて進もうにも進めないって感じてしまう。なーんで俺はあいつらみたいに好きなことがとことんできないんだ?って不平を言いたくなる。

ま、こんな文句並べたところで「他人と比べてどうすんのさ」「甘えだろ」「贅沢な悩みだ」とか言われるに決まってるけど。一番イラッとくるのは「みんなも辛い」って言われることで、みんな辛ければ俺も辛くあるべきというのが道理なわけねぇだろと叫びたくなる。

だからもう「しらね!W」と思って好きな勉強ばっかりやってたほうがよっぽど気持ちいいだろうなと思うけど、成績を落とすわけにもいかないし、どうにかしてうまくやりくりしてかなきゃいけないと思ってる自分がいる。思うだけなら簡単だけどね。