じぇねくそぼーど

所詮は落書き。

こくご

ふと昨日思ったことがあるのですが、なんだか書き留めておきたい衝動に駆られたのでここにメモるかなぁと。

僕の大学はバリバリの理系ですが、それでも去年はセンター試験の国語の勉強をしていたものです。センターの結果は目標点を少し下回っていたので、正直もうちょっと頑張れたかなぁ、と今でもごくたまに後悔することはあります。

というのも、最近国語に触れる機会が減ってきて、少し自分の中で「危ないなぁ」という漠然とした思いが生じることもあります。受験の時は国語の教本を読まない日はほとんどありませんでした。毎日国語の「何か」をやっていた。現代文の講習の問題を解き直しだろうが、古文の単語帳だろうが、過去問だろうが、どこかで必ず純粋な日本語と向き合う時間がありました。でも大学に入ってからは古文なんてやるわけがないし、読もうと思って持ってきた漢文の本も途中までしか読めていない。

数ヶ月前の僕自身が今の自分を見たら呆れるに違いないでしょう。あれだけ国語が好きだと言っていたのに今や何もできていない。でも仕方がない。大学の勉強は思ったよりも時間がかかるし、受験期にはなかった友達との時間もあるし、何より長い授業の後に疲れた身体に小難しい文学は負担がかかりすぎる。

ちょっと昔の話をすると、受験期に入った時は全く国語の知識などなく、むしろその勉強をすることに抵抗を感じていました。現代文はなんとかなるとしても、ゼロから古典の勉強なんてできるものなのか。失敗するのではないかという不安もありました。実際古文の初めの「活用」などというのを見て当時の自分は全く理解できない内容を前に失神しそうな状態だったのは今でもよく覚えています。

しかし、時が経つにつれ国語は単なる「日本語の勉強」ではないことにだんだん気づいてきました。春に河合塾で受けた現代文の講習で、文章や語彙の面白さ、文化や社会の様々な要素の奥深さに惹かれました。どれだけ多くの知識を得たことか。日頃の古文の学習は苦しかったけれども、問題からスラスラと解けるようになったあとはその文章の様式にどハマりしました。漢文は中国語で読んででサラッとやっていたのが、訓読と漢字の日本語での読み方の理屈を知ると、その理路整然とした流れに感動したことが何回あったことか。

いつの間にか「国語」は好きな科目になっていました。夏が過ぎると数学や物理そっちのけで国語と好きな化学に1日を費やすことだってありました。5月の時点で国語の偏差値が悲惨なことになっていたのが、年末ごろには70台近くに到達しました。その代わり、数学と物理は最後まで微妙でしたが...(そのせいで私大は苦戦しました)。無事センターも切り抜けると、国語の学習をしなくてもよかったのに、時々書店に寄っては中国古典を探して立ち読みしていました。

 

普通、こんなことを言うと「じゃあ文系の学部に進学すればよかったじゃないか」とのたまう方々がいます。ごもっともな意見だと思いますし、正直なところ自分は理系よりも文系の方が向いてるんじゃないかとも思っています。しかし、自分のどこかでもし文系の学部に進学してしまったら、国語が好きじゃなくなるかもしれないと思ってしまうんです。

というのも、学校や大学で何かを学ぶときはあちらから「責任」を要求してくるのです。誰かが言っていた気がするのですが、物事は責任が伴うと一気につまらぬものなってしまうと。全ての場合に於いてこの言葉が真であるとは言い切れませんが、間違ってはいないと思います。

例えばあるゲームが好きでやっていて、それが若しプロチームでやらなければいけないとすると、周りからの要求に合わせながらプレイしなければならなくなる。つまり「責任」が生じるわけです。その「責任」に合わせることができなければ、いい結末にならないケースが多いです。

学校や大学は「課題」や「テスト」などの形で「責任」を課します。それらは悪いことだと思っていませんし、むしろ必要な要素であると考えています。ですが、国語すなわち文学などに関しては、「テスト」では測れない要素がゾロゾロあります。そのよくわからない要素をゆっくり探求して、驚くような発見をするのが僕がやりたい国語であって、「責任」を要求されるとゲッソリすると思います。

実際僕の学校でもそうでした。ある文学作品を扱う際に、どんな要素が重要で、どんな風に解釈せねばならないかはある程度決まっていて、それを書かなければいい点数なんてもらえなかったのです。でも点数は欲しいからとりあえずはそう言われた通りにやるかなぁと、妥協をするのですが、心の内では不満足でたまりませんでした。こういう読み方もあるのでは?となんども自分で思うことも。

別に僕は文章が特別上手いわけでもないし、漢文の専門家でもありませんので少々エラそうなことを言ってるのかもしれないです。でも、あくまでも自分としてはこのような方法で国語と触れ合いたいとは思っています。

 

なんでこんなの書いたかなぁ。まぁいいか。

それでは。