じぇねくそぼーど

所詮は落書き。

漢文訓読について

つい最近、漢文の面白さに気づいてしまった。空き時間があれば孫子の「兵法」を読み、理系なのに文系の問題を見て感慨したりと、以前の俺からすれば信じられないほど漢文の世界に引き込まれてしまっている。

 

理系受験生にとって国語は大きな足枷である。文転した人はともかく、理数系の科目を主にやってきている我々理系受験生からしたら、センターのためだけに国語をやるのは大きな負担だ。国語の配点は200点と高く、失敗したら挽回も難しい。だから下手な私文受験者よりも国語ができなければならないのだ。

俺も当初は国語、特に古典をやることに大きな不安を感じていた。学校でまったくやっておらず、初めて古文の活用表を見ただけで気絶しそうになったのは今でも覚えている。

ところが漢文は別だった。中国語が読めるものだから、現代中国語と多少文法上の違いがあるものの、それなりにスラ〜っと読めて問題も答えられた。「なんだ、漢文って大したことないじゃん」と得意になってどんどん練習していくうちにこんなことを思ったりした。

 

「返り点っていらなくね?」

 

実際の中国語で読む白文は日本語で訓読するように前の文字に返ったりはしない。だったらこの「レ点」とか「一二点」とかはいらないんじゃないか?と思って句形の勉強とかはあまり真剣にやらなかった。正直余裕だった。

ところが塾で漢文をやり始めるとその余裕はあっという間に消え失せた。東大だったか東北大の問題だったか覚えてないが、やってみたところ出来は壊滅的だった。

そりゃあ、「固」が「もとヨリ」って読むなんて知らないし、書き下し文のルールなんてわかりゃしない。

でも「固」なんて「gu」って読むし、書き下さずとも意味はわかるし、なんでやる必要があるんだろうなぁ...と思った。しばらくして先生の所に立ち寄って自分の思うところを述べて、どうして日本の漢文は返り点をつけたり、特殊な読み方をするのかを聞いてみた。

すると返ってきた答えは意外だった。

 

「日本の漢文はね、ようは日本文化を学ぶことなんだ。どうやって日本人が中国の文章と向き合って来たのかを勉強する学問なんだよ」

 

そういうことか、頭の中で全てがスッキリした感じがした。返り点というのはまったく無用な長物などではなく、日本人の解釈を表現する代物なのだと。中国語では「yi wei」としか読まない「以為」を「もって〜なす」とか「おもへラク」などいろいろな読み方をするのも日本人の工夫なんだと。つまり訓読というのは日本文化を享受することに他ならぬことなんだということが分かったのだ。日頃、学校で漢文をやっている人達にとっては至極当たり前なことだったかもしれないが、自分にとっては新たな世界の発見に等しかった。

それ以来漢文の訓読もよく見ている。文によっては面白い訓読もあるし、逆にお粗末な訓読もある。それまでとはまた違う視点で漢文を見ることに悦びを感じるばかりだ。

そう思って毎日漢文と向き合って毎日発見をし続けていると、徐々に漢文を読むのが楽しくなってしまった。だから問題を解くのも楽しい。